シンガポールからマレーシアへ ジョホールバルの歓喜のスタジアム

2018年3月6日

いつものチャンギ国際空港の寝床で目を覚ました

ここで目覚める朝もこれが最後 世界一周に出発してから約一週間も空港泊したわけだ

一週間も同じフロアで生活してると同じように空港で数日過ごしてる何度も顔をあわせる人も出来てくるし、お店やインフォメーションの人にも顔を覚えられてくる

インフォメーションとかはもう並ぶだけで2デバイス分のwifiパスを必要としてる事をわかってくれる

昨日の夜はトップルーフバーから帰って来て、荷物を取りに行ったら毎日預けて取りに行くを繰り返してるから受付の女性から「このままだともうすぐあなたにハッピーバースディが言えるわね」っと言われた

そっかもうすぐ誕生日か 3日後にはまた歳を取るのである

「実は明日シンガポールを出てマレーシアに行くんです」と伝えると「そうなの?毎日来てくれてたのに残念ね、これからも良い旅を」と言ってくれた

そう僕は今日マレーシアに移動する

バスで国境を越えてジョホールバル入りするのだ

バスは15分に1本ぐらいのペースで出てるらしいので、時間は特に気にしないで荷物をまとめ朝10時過ぎにチャンギ国際空港を後にした

地下鉄でブギス駅へ 駅から歩いて2〜3分のところにクイーンストリートという通りがあり、そこにSingapore-Johore Express Terminal というバスターミナルがある

そこからジョホールバル行きのバスが出てる

なんか明らかに中華系の赤いバスの会社と黄色いバスの会社があって、黄色のバスに乗りたかったんだけど選ばしてもらえなかった

チケット売るおじさんが振り分けてる感じで僕は赤のバスになりました

乗車時もメインのでっかいバックパックは車内に持ち込みでした

バスは程なく走り出した

最初はシンガポールの都会の街中を走ってるんだけど、15分ほどすると両側に森というかジャングルっぽい木が増え出した

シンガポール、マレーシア間バス

バスはコーズウェイという橋に差し掛かった シンガポールとマレーシアの国境の橋だ

まずシンガポールの出国審査をするために全員全ての荷物を持ってバスを降ります

荷物は絶対全て持って出ないといけない なぜならこのバスはこの後、すでに出国審査を終えてマレーシア側に入国審査をしに行く人たちをすぐに乗せて行ってしまうからだ

シンガポール国境

じゃあ自分達はどうするのかというと出国審査を終えた後に皆と同じ場所でバスを待ってると後から同じ会社のバスが次々に来るので、来た時と同じ会社のバスに乗ります

チケットを提示すると同じ会社のバスならどれでもまた乗れるシステムです

シンガポールの出国審査で並んでる時に皆がスイスイと出て行くゲートを見つけた

自動出国ゲートみたいなんだけど、上にforeigner(フォーリナー)とも書いてある

実際シンガポールのパスポート以外の人が出て行くのも見た

何だこれ?外国人でも出国審査無しで自動出国ゲートで出れるのか??

試しに並んでみる 前の人をみる限り機械にパスポートをスキャンさせて、その後指紋のスキャンを行いゲートが開くという段取りようだ

自分の番が来てまずパスポートの顔写真のページをスキャンする

続いて親指の指紋をスキャンすると普通にゲートが開いて出国審査もスタンプも無しでシンガポールをあっさり出てしまった

これパスポートにスタンプないけどマレーシア側の入国審査大丈夫だろうな・・?

慣れないことをしたらしたで不安が付きまといますね

バスを待ち、自分がここまで乗って来たのと同じ赤い中華系のバスに乗り込んで今度はマレーシアのイミグレまで乗せて行ってもらう

到着したらまた同じように全ての荷物を持って降りてマレーシアの入国審査を受けます

その間先ほどのバスはまた行ってしまいますので入国審査が終わったらマレーシア側のバス停でまた後ろから来る同じ会社のバスに乗ります

マレーシア側のイミグレはジョホールバル駅の中にあるような感じ

さっきの自動出国ゲートの出国によってスタンプが無いから心配してたけど、マレーシア側のイミグレはあっさり通過 パスポートに2つ目のスタンプが押された

明日またこの駅に戻って来てマレー鉄道に乗るから先に切符を買っておこう

チケット売り場で明日のチケットを買おうとしたら「ここは当日券のみだよ」と言われた

隣のブースに行ってねっと教えてくれたので隣のカウンターへ

どうも当日チケットと先の日の予約チケットは売り場が別になってるみたいです

さぁマレーシア入国は終わったし、ジョホールバルのラルキンまで行くためにまた同じ会社のバスに乗らねばとバス停を探すんだけど場所が全然わからない

人に聞いてもなかなか思うようにたどり着けない

そもそもバスを待つ人たちがマレーシアに入ってから一気に消えた

ほとんどの人がもうここが目的地かこの駅から電車移動のようだ

30分くらいウロウロしてようやくたどり着いたバス停

ジョホールバル側のバス停

自分以外にバスを待ってる人は2人だけでした

これ人に聞かずにここにたどり着ける人いるのか?ってくらいわかりにくかったです

暑い中10分ほど待ってバスが来たのでそれに乗り込みラルキンバスターミナルまでやって来た

ラルキンバスターミナル

デカイ荷物を引きずって汗だくでホテル探し

ブッキングドットコムで予約したホテルをようやく見つけた

Double K Hostel Johor Bahru

Double K Hostel Johor Bahru

この旅初めてのホテルです エアコン付きシングルルームにしました

Double K Hostel Johor Bahru

部屋はこんなシンプルな作りなんだけど、せっかくエアコン付きの部屋にしたのにエアコンは夜22時以降でないと使えませんっと謎の設定があって一番暑い昼間は部屋が蒸し風呂という地獄絵図

荷物を部屋におろすと何だか随分疲れてしまっていた このままだと寝てしまいかねないので

早めに部屋を出てある場所に向かって歩き始めた

皆さんは「ジョホールバルの歓喜」をご存知だろうか?

1997年の事だからもう21年も前の事になる

サッカー日本代表はここマレーシアのジョホールバルで初めてワールドカップに出場する権利を勝ち取ったのだ

その現場、ラルキンスタジアムが歩いていける距離にあるのだ

僕はもう長い事サッカーファンをしてる

今までイタリアやロンドンやスペインにサッカーの試合を観に行った

日本代表のW杯最終予選の応援でオマーンに行ったこともある

サッカー日本代表の聖地のような場所なので、いちサッカーファンとしては一度見ておきたかった

汗をダラダラにかきながら15分ちょっと歩いただろうか

それは姿を現した

ラルキンスタジアム

ラルキンスタジアム

ここだ 日本代表がワールドカップを決めた時の記念ギャラリーがある

あの頃の記憶が蘇って来る

この試合、サッカーに興味のない当時付き合ってた子と一緒に部屋で見て一人で興奮し感動したなぁ

ラルキンスタジアム

岡野

このシルエット わかりますね? そうです野人、岡野です

因みにラルキンスタジアムと呼んでるが正式名称は「タン・スリ・ダト・ハジ・ハッサン・ユーヌス・スタジアム」というらしい 長過ぎなのでラルキンスタジアムでよし!

その後もスタジアムを一周する形で聖地巡礼してるとスタジアムの掃除をしてるスタッフがいたので声をかけて中を見せてもらえないか頼んでみた

意外にも「入り口から見るだけならOK」とあっさり中を見せてもらえた 言ってみるもんだ

ラルキンスタジアムの中

ラルキンスタジアムの中

ラルキンスタジアムの中

あれから何年も経ったけど間違いなくこの場所なんだよな

これを見れたならジョーホールバルに一泊したかいがあるってもんだ

日本代表 ラルキンスタジアム

ラルキンスタジアム

満足してラルキンスタジアムを離れ、来た道とは違う道を散歩してから帰った

ホテルに着くと朝からの移動と炎天下で思った以上に自分がバテていた

シャワーを浴びて少しベットの上で休憩した

少ししたら夜ご飯を食べに行こうと でもその日僕がベットから起きる事はなかった

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コメント

  1. 哲也 より:

    おもしろい
    お世辞抜きで(╹◡╹)

    • メリ より:

      そう言っていただけると書いてる甲斐があります

      時にはダレてしまった内容の時もありますが他の記事も続けて読んでいただけたら嬉しいです^^

  2. harumame より:

    シンガポール1週間の空港泊お疲れさまでした。
    ホテルはブッキングコムとか、事前予約する時代になったんですよね。
    私が海外バックパッカーしていた90年代後半~2,000年代後半くらいまでは、安宿でしたら「地球の歩き方」とか見ながら飛び込みでベッドを確保していました。

    今は今で便利ですが、あのころはあのころでまた懐かしいです。

    • メリ より:

      harumame様、コメントありがとうございます!

      90年代後半からすでにバックパッカーされてたんですね
      僕も時々予約なしで飛び込みでチェックインする事があります

      その頃はまだ途上国が面白かった頃ですね
      今はだいぶ色んな途上国が整備されていて昔のような面白みは無くなってきてますね
      僕もその頃からバックパッカーやってればまた違う景色を見れたのになと思います

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