2019年4月13日
朝起きたらまずはストーンタウンカフェ
アボガドトースト 5000タンザニアシリング(約230円)
これ安くて美味くて最高
ゆっくりコーヒーを飲んだら今日も行動開始だ
ザンジバル島の東部の町パジェに移動する話の前に前日にダルエスサラームからの船の中で出会った韓国人のダイモンと動いた日の事を書いておきますね
ダイモンと待ち合わせてるのはスレイブチャンバーという奴隷貿易の為の奴隷収容施設のあった場所を今は展示場にしてる会場の前だ
天気はあいにくだけどストーンタウンの中の路地を歩いてスレイブチャンバーに向かった
扉に大きな突起物がいくつもついてるのをこの島に来てから何回か見ていた
ただこれが何を意味するものかは知らなかった
写真を撮ってると通りがかりの地元の人が「これは昔象が入ってこないようにしたものだよ」と教えてくれた
それが今も名残りでザンジバルの扉の象徴のように残ってるらしい
迷路のように張り巡らされている路地を中心に向かって進むとJaws Cornerという交差点にさしかかった
ピンクのタルチョのようなもので彩られたこの交差点の壁にはわかりやすくそのまんまサメの絵が描かれている
この交差点は地元の仕事してるんだかしてないんだかわからないような人達が多く座ってくつろいでいた
そこから5分ほど歩いてスレイブチャンバー前に到着
スレイブチャンバーの前で待っているとダイモンがやってきた
「先にフィッシュマーケットを見に行かないか?」とダイモンが提案して来た
たしかに地図で見てここの近くに魚市場があるのは僕も知っていた
距離も近いもんだ たしか魚だけでなくスパイスマーケットや肉のマーケットもあったはず
「いいよ、じゃあフィッシュマーケットに行こう」と即答して早速ストーンタウンの魚市場へ
生魚の独特の匂いが立ち込める市場
この匂いを嗅ぐのは久しぶりな気がする
タコとイカ タコはああして並べるのか 新鮮そうだ
市場で働く無骨な男達が大きな包丁を振るう
とにかく豪快に魚がブツ切りにされていく
そりゃ清潔感は先進国に劣るけど新鮮な海鮮物にありつけるのはこっちかもね
これはタコの煮干しかな 物凄い量が陳列されていた
続いて横のお肉のブースへ移動
この肉のマーケットの人はあまり写真を撮られれるのを好まない
やっぱり自分が動物を解体してるような作業を写真に納められたくないんだろう
写真を撮っていると「やめてくれ」と直接言ってくる人もいる
なのでなるべく人が写らないように肉のみの写真を撮ってた
お次はすぐ横にあるスパイスマーケット
ここはもう世界一周旅行者からすればお馴染みの風景だ
今までいろんな国で幾度となくスパイスの市場を見て来ている
バニラはこの辺では結構有名なのかな?
そういえばマダガスカルもバニラはかなり豊富だった
アフリカ東部の離れ小島はバニラの宝庫なのか
スパイスマーケットを見てるうちに雨がキツくなってきたのでダイモンと2人で適当な飯屋へ
ここでたまたまモシの町で見かけた若い日本人男性とバッタリ再会
山田君という最近までモザンビークで生活してた日本人男性
アフリカを回って一度日本に帰ったら次は南米に行って屋台でラーメンを売って回るという面白いチャレンジをするらしい
いいね、夢があるよね
食事をしてフェイスブックを交換して今日の目的だった奴隷貿易の展示場、スレイブチャンバーにやってきた
この展示場がその昔本当に奴隷市場になってたんだよな
こちらがチケット
入場料は正直忘れたんだけどこのチケットの写真を見る限り5ドルだったみたいですね
早速中に入ってみよう
ここでは東アフリカの奴隷貿易の始まりから終わりまでを歴史を振り返りながら知る事ができるようになっている
この絵のように逃げられないように木を組んだもので首を固定されて売られて行ったらしい
これではまるで首輪を付けられてる動物のようだ
ひでぇ事するもんだ
そして多くの人が船に乗せられて別の地に売られていった
なんつーギュウギュウ詰めの船だよ
悲惨な環境で何日も航海させられたんだろう
そしてこちらが実際に奴隷の人たちが入れられて居た部屋
完全に許容人数を超えていて部屋の酸素が足りずにバタバタ人が亡くなった時もあったらしい
エグイ話だわ
家畜のようにこんなものを足やら首につけられてこんな狭くて暗い部屋で売られていくのをただ待ってたなんて
僕らはこの時代に生まれた事を感謝しないといけませんね
スレイブチャンバーのすぐ奥にある教会
たしか奴隷貿易が終わった事で建てられたとかそんな説明受けました
パッ見中は普通の教会
でも建てられた背景は想像しがたいもの
その後、僕とダイモンはストーンタウンの海辺に近い僕の宿の方に戻ってまた夜晩御飯を食べにいく約束をして一旦分かれました
ザンジバルに日本のマッサージ屋さんあった
値段高いらしいので入らなかったけど
夜はまたダイモンと海沿いの公園で待ち合わせて屋台飯を物色
ただ海沿いの屋台は観光客を対象にした値段なので正直割高です
なのでもうちょっと地元民が行くような屋台に行きました
場所は昼間行ってた奴隷市場の近くです
色々な串焼きやエビなどを安く食べる事ができます
ダイモンは韓国人だけど中華料理のシェフで、2020年から日本の横浜の中華街で働くそうだ
2020年は予定通りなら僕が日本に帰る年
ダイモンは今晩ストーンタウンを離れる
ダイモンとシーフードを平らげた後、もしかしたらまた次は日本で会えるかもね!っと言って分かれた
そして翌日 前置き長かったけどここからが今日のブログです
ストーンタウンからザンジバル東部のパジェに移動します
大きなメインバックはストーンタウンの宿に預かってもらいサブバックだけで向かいました
ここからはダラダラと呼ばれる乗り合いバンを乗り継いでパジェに向かいます
奴隷市場跡のスレイブチャンバーの東側にカルームロードという大きな道があるのでそこから東部に行くダラダラに乗れると聞いてました
警察のオジサンがいたのでどれに乗ればいいか聞いたところクウェレクウェマーケット(kwerekwe Market)という所までとりあえず行ってそこで乗り換えないとダメとの事でひとまずそのマーケット行きのダラダラを探します
324番とか309番とかいくつかのダラダラがそっち方面に向かうようです
僕は警察のオジサンが止めてくれたダラダラに乗りました
窓から眺めてると日本で使用されてた車やバスをよく見かける
実際僕がモシからダルエスサラームに来る時も小松原幼稚園と書かれたバスが物凄いスピードで僕らのバスを抜かしていきました(笑)
中古のバスなど色々流れてきてるんでしょうね
クウェレクウェマーケット(kwerekwe Market)の前にはものの15分ほどで着きました
ここで次のパジェ行きに乗り換えます
パジェ行きはどれ?って聞くとすぐに教えてもらえます
タイミング悪く今から出るパジェ行きのダラダラが満席でちょうど出発するところでした
なので僕は次のパジェ行きのダラダラが満席になるまで待ちました(満席にならないと基本出発しない)
数十分待って満席になりようやくパジェに向けて出発!
ここからはあと1時間くらいのはず
お、ゆたか幼稚園
予想通り1時間ちょっとのドライブでダラダラはパジェに到着
天気いいけどストーンタウンに比べたらめちゃくちゃ暑い
でも空と海の近くの田舎っぽい雰囲気は最高だ
お、ひまわり号(笑)
日本の幼稚園バス、タンザニアで活躍しすぎ!
ここからは目的の宿までゆっくり歩く
汗がボタボタ落ちて来る暑さだけど不思議と一人でこんなアフリカの海辺の田舎町を歩いてる自由感が気持ちよく感じる
あー やっぱ旅は一人に限る
もちろん日本人同士で行動する事も時には楽しいけど長すぎると僕にとってはストレスになる事も多い
旅先で知り合った外国人とならともかく日本人とずっといるってのは僕にとって海外に長期で出てる意味が半減する
そんなにずっと日本人と一緒にいたいなら海外じゃなくて日本にいるのと同じでは?なんて思ってしまう
まぁアフリカは治安の面で不安もあるし日本人同士で移動して行く人が多いのもわかるけどね
最高の雰囲気の中、歩き続ける事10分ちょっと
僕が目を付けていた宿の看板が見えて来た
ここからは海の方へ向かって進むみたいだ
予約も何もしてないけどとりあえず行ってみよう
アスファルトから道が砂に変わりここがもう海のすぐそばなんだと教えてくれる
アフリカの離れ小島の何気ない海に続く道
この道の先にどんなパラダイスが待ってるんだろう