2019年8月29日
宿泊先をキエフの街の中心に変えました
Sunday Apart Hotelというアパートのワンフロアをホステルに改造したようなホテル
このバスルームの広さ(笑)
ジェットバスの付いてるバスタブ
シャワーも別に付いてます
Sunday Apart Hotelの場所はこちら
黄金の門のすぐ近くです
部屋にはキッチンも付いていて手前のソファは広げればこれもベッドになります
僕とOサンはこの快適な宿に3泊した
前回の3つ星ホテルに続きここもすこぶる快適な宿だった
Sunday Apart Hotel
- ロケーション:★★★★☆
- スタッフ :★★★★☆
- 価格 :★★★☆☆
- 清潔感 :★★★★★
- WIFI :★★★★☆
※あくまでも個人的な評価です
入る時に事前に連絡で聞いていた数字のパスワードを打ち込んでアパートの中に入る
立地はキエフの街の中心に近く、独立広場まで歩いて10分ほど
黄金の門からは徒歩1分 麺屋武蔵も徒歩圏内です
スタッフ(オーナー?)のオバサンも親切で宿の廊下にはウォーターサーバーあり
Wifiもサクサクで本当にいい宿でした
さて今日僕とOサンはキエフからチェルノブイリ地区を見に行くチェルノブイリツアーに参加する
僕らが予約したのは「CHERNOBYL TOUR」という会社
CHERNOBYL TOURのサイトはこちら
https://www.chernobyl-tour.com/contacts_en.html
料金は一人104ドルでした(昼食込み)
ひとまずネットで予約するのですがそれは仮予約になります
仮予約を済ませるとCHERNOBYL TOURからメールが来るのでその内容に従ってデポジットとして料金の25%をクレジットカードかPaypalで支払ってそこで初めて予約完了となります
上記の通りなので僕らは2人で合計208ドル
そしてそのうち25%にあたる52ドルをデポジットとしてネットで支払い予約を完了しました
(デポジットをネット決済する際になぜか僕のクレジットカードは弾かれたのでPaypalで支払った)
僕らをチェルノブイリツアーに連れて行くバスは朝8時に出発するので7:30〜7:50までには集合場所に到着しておくように言われてました
当日問題なく朝7:30過ぎに集合場所について自分たちが乗るバスを見つけた
が、しかしここでひとつトラブルが
このチェルノブイリツアー、絶対にパスポートを所持して来ないとツアー予約が完了してても連れて行ってもらえないのだ
その事はもちろんOサンにも伝えていたのだけどなんと当日Oサンがパスポートを宿に忘れてしまうという事態に
忘れないように昨夜ズボンのポケットにパスポートを入れてたみたいなんだけど、今朝になってズボンを履き替えてしまったらしい
一応何とかしてもらえないかとチェルノブイリツアーのスタッフにもお願いしてみたのだけどやはりパスポートは絶対必要なのでホテルに取りに戻って欲しいとの事
ホテルまでは歩いて戻ると40分近くかかってしまう
バスは時間厳守で絶対に8時には出発するらしい
とりあえずOサンはパスポートを取りに宿に向かって走って行った
僕らは歩いて集合場所に行こうという事になり朝余裕を持って早めに宿を出た
今からあの距離を走って戻るのか あの人スゲーな
とか感心してる場合でもない
とにかくOサンが間に合うように少しでもバスの出発を遅らせる為に時間稼ぎしないと
スタッフと話し込んだりしてバスを8時10分位まで待たせたんだけど、ツアーのスタッフが「もう時間がないから出発するぞ。バスは一度ガススタンドで休憩するから君の友達にはそこで合流するように伝えてくれ」と言ってバスは走り始めてしまった
僕はシムカードを持ってなかったのでツアーのスタッフがスマホのネットワークをインターネット共有してくれて、それでOサンに現状と合流ポイントを伝えようと電話するんだけど今度はOサンが走ってて気づかないのか電話に出ない
フェイスブックのメッセンジャーでメッセージを送って様子を見る事にした
すると宿に着いてパスポートを持ったOサンから今タクシーに乗ってると連絡が来た
合流地点も伝えてタクシーに乗ったOサンが何とかガススタンドでうまく合流してくれた
ハラハラしたわー笑
そしてバスは1時間30分ほどでチェルノブイリの入り口ゲートに到着
ゲート前にはお土産物屋が
マグネットとかステッカー買ってる人多かった
チェルノブイリのアイスクリーム!?
一体それは何味なんだい?
一応ですがチェルノブイリの場所はここ
ウクライナの北部、ベラルーシーとの国境の近くですね
このゲートは事故のあった原発から30キロにあたる地点 ここから先は立ち入り禁止区域だ
ここでパスポートチェックが行われ、いよいよチェルノブイリ地区に入っていきます
チェルノブイリ地区は住民が退去してから長年放置されていた為、木々による侵食が進んでおりかつて町や村だった場所はまるで森のようになっている
このようにチェルノブイリのあるプリピチャ地区は住民が避難し現在は無人となっている為、放棄された村が点在してる
残された建物には基本入ることが出来るので自由に出入りして中の様子を見ることができる
当時はこの村だけでも3000人近い人が暮らしていたとか
なんだかこの風景を見ているともし地球に人が住んでなかったら地球の大地のほとんどってこんな風に木々に覆われて森だらけになってるんだろうなあと思う
人類の発展は果たして正しかったのか、間違いだったのか
答えなんて出せないけどだからと言って考えずにはいられないよな
チェルノブイリ地区の入り口の森を抜けてまず僕らがやってきたのはチェルノブイリの中にあるミサイルを感知するレーダー
その大きさ実に高さ150m
横の長さはなんと500mだ
これ写真で見たことあったけどここに来るまでミサイルのレーダーとは知らなかったな
ガイドの説明によると旧ソ連の超水平線レーダーシステムで名前を「ドゥーガ」という
地平線を越えて電波を飛ばして受信するレーダーでこれで敵対国のミサイルや戦闘機などを索敵してた
ただあの事故のせいで結局10年ほどしか使用されなかったらしい
このレーダーは周辺のラジオや無線にも様々な影響を与えてしまってたらしい
こんな大掛かりな物だもの そりゃそうなるよね
またこのツアーでは事前に予約しておけば別料金でガイガーカウンターを貸してもらえる
僕らは申し込まなかったが欧米人の何組かが持ってて数値を測ってた
数値高いっすね・・ これミリシーベルトなのかな?
放射線を測る数値ってベクレルとかシーベルトとかいくつかあるんですよね
通常僕らが生きてて自然界から浴びる放射線の量って1年で2.1ミリシーベルトらしいです
だとしたらなかなかの数値が出てるな
その後僕らは住民の退去で放棄された幼稚園を見に行った
ここが僕にとってはチェルノブイリの中で一番印象に残ってるぐらい衝撃的だった
このベッドや放置された人形を見たときは思わず絶句してしまった
チェルノブイリの4号炉で原子力事故が起きたのが1986年4月26日の1時23分
それに対して避難のアナウンスがされたのは4月27日の13時
この地区の住民たちはこの間放射能汚染の事実を知らされぬまま通常の生活を送ることとなった
原発から30キロ圏内の地域で避難が開始されたのは何故かそれから更に1週間後のこと
最終的にプリピャチ周辺からの5万人を含む合計13万5000人が原発事故によって避難させられることになった
残された物を見る限り慌てて退去したんだろうな
子供のオモチャやぬいぐるみを取りに戻る余裕も無かったんだろう
原発事故後はやはり大人や子供に関わらず甲状腺癌や白血病が増えたそうだ
また当時周辺では奇形の犬なども生まれてたらしい
今は福島があるから日本も同じ立場かそれ以上だよな
これから東北では癌や白血病が増えるだろう その数値は公開されないだろうけどね
まぁもし公開されても政府は関連性を認めないだろう
久々にゾクっとなる光景を目の当たりにした気がした
あ、因みに幼稚園の中の人形やその他のものに手を触れるのは禁じられてます
だから人形やぬいぐるみをはじめとする幼稚園の中の物は基本動かないはずなんですよね
位置が変わらないはずなんです
・・・でも
何故かこの幼稚園の中の写真がインスタやその他SNSで公開される度に人形の位置や首の角度が少しづつ変わって来てるなんて噂があります
あなたはこれ信じますか・・?
さて幼稚園を見に行ったあとは昼食です
上の写真の放射線量を測定する機械を通過して何も反応がなければそのまま建物の中でランチを食べれます
これがチェルノブイリで出されたランチ
味は正直特に美味しくはないんですがまあチェルノブイリ地区の中でまともな飯が出てくるだけマシと思いましょう
このチェルノブイリには大量の放射性降下物により枯死したマツのいわゆる「赤い森」と呼ばれるエリアがある
この森は事故後、きわめて大量の放射性降下物により枯死して赤茶色に見える木々のためにそう名づけられた
「赤い森」は世界でもっとも汚染された地域のひとつと言われている
この向こう側が「赤い森」 もちろん立ち入り禁止
ツアーガイドがここでカウンターで数値を測ってみてと言ったので欧米人が測定した
結果は18.16マイクロシーベルト
なんでも事故を起こした4号炉の爆発と火災による土壌、水、大気の汚染はあの広島と長崎に投下された原子爆弾による放出量の20倍
末恐ろしい量だわ
ここは多分昔の学校か市の運営してた運動施設かな
建物内には体育館やプールがあった
わかる人にはわかると思うけどPUBGってゲームのエランゲルの学校を思い出してしまう光景だ
チェルノブイリ事故による汚染は周辺の地方全体に均一ではなく、風向きや天候により不規則に広がったそうだ
近くのベラルーシも相当な汚染を受けたと言われている
次に僕らが見に来たのはチェルノブイリの中に忘れ去られたように放棄された観覧車
時折寂しそうにキーキーと音を立てて風でひとりでに動き出すことがある
機械で物質なのになんだか可哀想になってくる
ここでも欧米人たちがガイガーカウンターで測定
210.2マイクロシーベルト
数字の右側に表示されてる「μSv/h」が大事
SvってのがシーベルトでμSvはマイクロシーベルトを意味する
シーベルトの1,000分の1がミリシーベルト(mSv)、 その1,000分の1がマイクロシーベルト(μSv)、さらにその1,000分の1がナノシーベルト(nSv)です
「/h」は1時間の意味
つまりこの場所に1時間いたら210.2マイクロシーベルトの放射線量を受ける事になるという事だ
210.2マイクロシーベルトはミリシーベルトになおすと0.21ミリシーベルト
上記したように通常僕らが生きてて自然界から浴びる放射線の量が1年で2.1ミリシーベルトなので、ここに1時間いるだけで1年の10分の一もの放射線を浴びてしまう
当時これに乗って遊んでた子供達も今や皆大人になった
その人達はこの観覧車のこと覚えているかな
ツアーの終盤は当時チェルノブイリで一番栄えていた町の中心部へ
ガイドが当時の写真を見せてくれたんだけどその中心部も同じ町とは信じられないくらい別物になっていた
今では木々に覆われた廃墟郡だ
そしてここが5万人が住んでいたプリピチャ市
今ではゴーストタウンを越えて不謹慎ながら廃墟マニアが喜びそうな町並になっている
プリピチャ市で一番高いビル
だったと思う 間違ってたらゴメン
共産党圏らしいシンボルの付いた建物を見て回って最後は再び放射線量を計測する機械をを通過してツアーは終わり
ここを警報をならさず(基準値以下)無事通過したらあとはいくつかのモニュメントの前で記念撮影をしてキエフに戻るバスに乗り込む
チェルノブイリは思った以上にすごい状態になってる町だった
日本も本当は福島を同じように隔離しないといけないはずだよな
最後にチェルノブリの町のモニュメントに立ち寄った
チェルノブイリの町は原発から20キロと意外に離れていた為、現在では人がまた暮らし始めているそうだ
ただし今ここで暮らしてるのは本人が希望した人だけ
若者はほとんどいない
もし自分がこの町で生まれ育ったなら放射能がまだあれだけ残ってても戻りたいと思えるだろうか
キエフに戻るバスの中でそんな事を考えながら僕のチェルノブイリツアーは終わっていった
コメント
メリさん、初めまして。
私は普段、あまり旅ブログを読まないのですが(観光情報を調べたりする時に読むぐらい)、とある人のブログをきっかけにメリさんのブログを知り、ほぼ毎日読んでいます(^^)
私は恥ずかしながら、学生時代は歴史が苦手で全く勉強していませんでした。
大人になり旅に出てから「もっと歴史やその国について知っていれば、より楽しめたのにな。」と思い、最近ではYou Tubeなどで勉強しています。
メリさんのブログはその国について非常に詳しく書かれており、凄くハマるものがあります(^^)
さて、長くなってしまいましたが、実は私も昨年10月にチェルノブイリを訪れています。メリさんのちょうど1ヶ月ちょっと後です。
「人形の位置が変わっている」と言う噂が気になり、自分のブログを確認しました所、本当に変わっていました!!
(メリさんの写真左のベッドにいた人形が、私の写真では右のベッドへ移動しています。)
参考に私のブログ記事のリンクも貼っておきますね。
因みに最後の遊園地ですが、開業の5日前に事故が起こった為、アトラクションはどなたも乗られていないそうです。
長くなりましたが、今も旅を続けているという事で、ご自愛下さい。
ミキホン様、コメントありがとうございます!
そしてお返事がこんなにも遅れて申し訳ございません
1ヶ月遅れでチェルノブイリに行かれてたんですね!
しかも人形の位置がまた変わっていたとは・・・^^;
あの遊園地まだ開園前だったのですか!?知らなかったです!
貴重な情報ありがとうございます
日本のコロナもまだ収まってないと聞いておりますのでミキホン様もどうかお身体ご自愛くださませ