2020年3月12日
おはようございます
これを書いているリアルタイムの2020年8月現在では安倍首相が今月いっぱいで辞任するという噂が流れてますね
次は麻生氏なのか河野太郎氏なのか、はたまた別の誰かなのか
今後に注目ですね
さて昨日の続きからです
ウルグアイの首都モンテビデオで第1回サッカーワールドカップの決勝の舞台となったスタジアム「エスタディオ・センテナリオ」を見学し終わった僕は最初に到着したバスターミナルに戻ってきた
ここはTerminal Tres Crucesというショッピングモールとバスターミナルが併設された建物
モンテビデオの街の中心に行きたいので、まずはバスターミナル内のインフォメーションで「街の中心の独立広場の辺りに行きたいんだけど何番のバスに乗ればいいですか?」と聞いてみた
するとインフォメーションの人が手書きのメモをくれた
これによると21番 187番 64番 143番のいずれかのバスに乗れば街の中心まで行けるようだ
そして一番下に書いてあるドルマークの横に40という数字
つまり街の中心まで40ウルグアイペソで行けるということだろう
バスターミナルを出てすぐ左手に市バス乗り場があると教えてくれたのでインフォメーションのお姉さんにお礼を言って外に出てみる
これがどうやらそのバス停みたいだ
たしかにバス停の標識には先ほどメモで教わったバスの番号が全て書かれている
教えてもらった番号の中で一番早く来たバスに乗ろう
バスターミナルのすぐそばの市内行きのバス停の場所はここ
運賃は教えてもらっていた通り40ウルグアイペソ(約100円)
バスに乗って約15分で街の中心の独立広場前に到着
ここが独立広場か
僕が街の中心に来たのは街を歩いてみたいのはもちろんだけど、モンテビデオのとあるミュージアムに行きたかったからだ
その場所とは「Museo Andes 1972」というミュージアム
皆さんは昔ウルグアイから飛び立ったラグビーの選手を乗せた飛行機がチリに向かう途中で雪の降り積もるアンデス山脈に墜落した飛行機事故をご存知だろうか?
普通だったら山に墜落などすれば全滅だが雪山に墜落したおかげで雪がクッションとなり、乗員45名のうち16名が生還して当時「アンデスの奇跡」と呼ばれた
墜落した瞬間は助けてくれた雪が今度は生き残った人たちを追い詰めることになる
食べ物はなく寒さと飢えで墜落で死ななかった人も次々にバタバタと倒れて死んでいく
そんな中、生存者が選んだ選択は生きるために死んだ仲間の肉を食べるという壮絶なサバイバル
これは後にドキュメンタリーとして映画化されて日本でも「生きてこそ」という邦題で放映されたのでレンタルビデオ屋でも借りることができる
そしてその壮絶な事故と生き残った人たちの奇跡を残すために作られたミュージアムが上の写真のMuseo Andes1972だ
僕は昔このドキュメンタリー映画を2回観たことがあったので、ウルグアイのモンテビデオにこのミュージアムがあることを知った時にいつかは行ってみたいと思っていたのだ
Museo Andes1972の場所はこちら
早速中に入ってみよう
日本人も結構訪れるからか日本語での案内もありましたね
まずはチケット購入
値段いくらか忘れてしまったんだけどそんなに高くなかったです
日本円で言うとせいぜい600円とか700円とか
ミュージアムの中には当時の新聞や写真から飛行機の破片まで数多くの展示物があるので好きに見て回れる
この事故の概要を簡単にもう一度おさらいしてみよう
1972年にラグビーの選手団を乗せた飛行機はウルグアイのここモンテビデオを飛び立ちチリに向かうがアンデス山脈の天候不良のためにアルゼンチンの都市に一度着陸して天候の回復を待つことになった
次の日も天候は回復しなかったがそのまま飛行機でアンデス山脈の山の切れ目であるポイントを通過してチリの首都のサンティアゴに行くことになった
十分天候の回復を待たずに再出発した事が明暗を分ける事となる
雲と雪で真っ白なアンデス山脈上空を飛んでいる時に山の一部に激突し、 右翼と垂直尾翼を吹っ飛ばされ飛行機の胴体部に穴が開いた状態で45名を乗せた機体は山の斜面に墜落した
死者と行方不明者を出して生き残った28名は怪我を治療することもできずに寒さと飢えの中で徐々に弱っていく
飛行機の中にあったわずかなチョコレートや食料を分けながら飢えをしのぐが、長くは持たず仲間が数人倒れ死んだ
さらに追い打ちをかけるように起きた雪崩で数人の仲間を失う
そのままだと死を待つだけなのでついに仲間の一人が死んだ仲間たちの死体を食べて生き残ろうと提案する
食料が全くなくなった状況で生きるために究極の選択をしたのだ
死んだ仲間の死体を食べながら生き残った生存者たちはある日ラジオを通して捜索隊が自分たちの捜索を打ち切ったことを知る
そこで生存者の中の2人が延々とどこまで続か分からない雪山を降りて救助を求めに行くことを決意する
そして雪山を歩き続けること10日間
アンデス山脈を越えたチリ側の小さな山間の村で初めて人間と遭遇し救助されることになる
雪山を10日歩いて救助された2人がこの写真の2人だ
2人の救助されたことにより残りの山に残った仲間も後日ヘリコプターで救助された
これがこの凄惨なサバイバルを強いられた墜落事故の生存者の物語
僕は当時見た映画思い出しながら何とも言えない気分で生存者の遺留品を見て回った
展示物をゆっくり見て回っている時にこのミュージアムのオーナーと名乗る人が「ハポネス?やっぱり そう思ったよ」と声をかけてきた
話を聞いてみるとやはり日本人はよくこのミュージアムに訪れるらしい
オーナーは非常に親切で「実は墜落した地点はここだけど、そこから斜面を滑り落ちて機体が発見された場所はこんなに離れてたんだ」などいろんなことを教えてくれた
僕が「この墜落事故は日本でも映画になったから2回見たことあるよ」と言うとオーナーが「日本ではこの映画は何ていうタイトルになってるの?」と聞いて来た
このドキュメンタリー映画は海外では「Alive」というタイトルになってる
日本では「生きてこそ」という題名になってるよと教えてあげるとオーナーはメモとペンを取り出してきて字で書いてほしいと言ってきた
僕がメモに日本語で「生きてこそ」と書き、さらに読み方をローマ字で下に書いてあげた
するとオーナーはミュージアムの中に有料で売っているバッチをお礼にひとつ僕にくれた
墜落事故の後、アンデスの山中で70日も生き延びた生存者たち
彼らが生き残るために選んだ人の肉を食べるという選択はもちろん当時かなりバッシングを受けた
でも自分が実際にそんな状況になったら彼らの選択を責められる人なんていないと思う
生きるために死んだ仲間の肉を食べる
褒められたことじゃないかもしれないけど僕は強い選択だと思うな
Museo Andes1972を出た僕は周辺を歩いて海辺に出ることにした
モンテビデオは海に面した街
昨日に比べたら天気も少しずつ良くなってきてるので外は暖かくていい気分だ
街中には意外にもヒッピーが多く、路上で自分で作ったアクセサリーを売っている
バスキングをする人もいて気候も暖かくて海が近い
なんだかポルトガルやスペインの西ヨーロッパを思い出す
このまま海の方へ歩いていこう
目の前に茶色くなった芝生が広がり視界が開けた
海が見える
久しぶりにゆっくりと嗅ぐ潮の香り
遠くにタンカーがゆっくりと移動する
夕焼けに照らされ始めた海辺には釣りをする人、水着で泳ぎに来た人、ランニングをする人、何をするでもなく海辺に座ってゆっくりしている人
僕も30分ほどここで何もせず座って海辺で過ごす人たちと一緒にゆっくりした
街中の大きな通りを歩いている時にふとこんな看板を見つけた
これは大麻を売ってるお店だ
そういえばウルグアイはカナダに続いて世界で2番目かなんかに大麻を合法化した国だ
大麻を解禁している国はたくさんあるけど、そのほとんどがあくまでも非犯罪化
つまり「犯罪にはならないよ」という建前を取っている国が多い
そんな中で完全に合法化しているのはまだわずかだ
大通りにここまで堂々と店を出してるところはさすが合法化の国だね
さすがにちょっとお腹が減ってきたので街を歩きながら簡単に飯を食えるところを探す
恋人達の願掛けは南京錠 これは世界共通なのか
あまり食べたいものもなかったので初めて見るハンバーガー店に入ってみることにした
MOSTAZAというお店
ウルグアイのマクドナルドといったところだろうか
以前の記事で書いた通りウルグアイは決して物価が安くないので値段は普通のマクドナルドと同じかそれよりちょっと高い感覚
2階のイートインスペースも綺麗なもんだ
何注文したか忘れたけどとりあえずナゲットの付いているセットを頼んだ
ただ味は間違いなくマクドナルドより上 これは確実
晩飯を済ませた後、また市バスに乗るため大通り出る
僕は今晩の夜行バスでコロニア・デル・サクラメントに戻り、朝方のフェリーに乗ってアルゼンチンのブエノスアイレスに戻る
今夜はウルグアイ最後の夜だ
やって来たバスに乗って昼間到着したバスターミナルへと向かった
バスの料金は同じく40ペソ
バスターミナルに着くとすぐに自分が乗るバスを見つけた
これに乗ってコロニアデルサクラメントに戻ったらまたウルグアイの出国審査とアルゼンチンの入国審査を受けて暗いうちに船に乗船
そして明日の朝にはまたアルゼンチンだ