世界一周 出発1日前 世界一周の定義とは?

2018年2月27日

世界一周の出発を明日に控え、僕は昼から電気、水道、ネット回線の撤去、部屋の管理会社の立会いを滞りなく済ませていた

今日でこの部屋を出なくてはならない

管理会社に鍵を返却するので今晩だけは実家に泊まらせてもらう事になっている

昨日の引っ越しの際にも会ってるのに今日も大家のNさんがわざわざ来てくれた

すでに世界一周に行くために部屋を出ることは伝えてあるし、またもし日本に帰って来て京都に住む事になったら部屋貸してくださいって言ってある

Nさん「身体にだけは気をつけてな また京都に帰ってくるんやで」

「ありがとうございます 京都に住む事になったらまたお世話になると思います」

Nさん「ほな、また2、3年後にな 気張っといで」

「はい 行ってきます!」

全てが終わり大家さんの前で管理会社に部屋の鍵を渡し、実家にブラブラ歩きながら戻った

長年暮らしたこの辺りの景色も見納めだ 長年暮らした場所を離れるのは感慨深いものがある

広隆寺

実家に戻ると叔父が「お前今日の晩飯どうするんや?寿司でも取ったろか?」と気を使って聞いてきた

出発前日にお寿司を食べれるとか超嬉しい訳なのだが、ただでさえ叔父は今回の引っ越しに先立って実家に俺の衣類を置けるように収納ケースを買って置いておいてくれたり出発前日に泊めてもらったりと色々世話を焼いてくれてるのだ

申し訳なかったし、日本を出る前に最後に食べておきたい物もあったので遠慮しておいた

僕が最後に選んだ飯屋は京都の円町にあるタイカレー「シャム」だ

このお店にはもうかれこれ8年くらい通ってる

ココナッツミルクが効いててまろやかなのに徐々に体がぽかぽかと温まってくる感じ

辛さも丁度良い ジャスミンライスも最高なのだ

暖簾をくぐるとたまたまお客は自分以外に女性が一人だけだった

タイカレーシャム

店内でグリーンカレーをひとつ注文した

寡黙な店主は多分「お、こいつが店内で食うなんて珍しいな」と思ったと思う

この店にはまってよく来だした最初の2〜3年は店内でよく食べていた

でもここ5年ほどはもっぱら持ち帰りばかりだったからだ

どうしても世界一周前に久々に店内で食べたかった

シャム グリーンカレー

タイに行ったらいくらでも食べれるんだけどここのグリーンカレーやレッドカレーはタイ本場よりも美味いんじゃないかと思うほどの絶妙な美味さなのだ

ちなみにタイにはすでに6回ほど行ってるのでもちろん本場のタイカレーも何度も食べてます

でもここのタイカレーはやっぱり最高!

京都の円町に来てカレーが食べたくなったらシャムに行ってみてください 間違いないので

あ、円町でタイカレーじゃなく普通のカレーが食べたい人には「リバーブ」がおすすめです

タンドリーチキンカレーとか美味すぎます

店内には漫画も置いてあるので注文を待ちながら、そして食べながらゆっくり読めます

中には懐かしい漫画なんかもあって僕はあだち充の「ラフ」を読みながら食べるのが好きでした あれ?何の話でしたっけ・・?(笑)

久々にシャムの店内でグリーンカレーを食べながらふと明日から自分が行く「世界一周って何だろう?」と思った

世界一周の定義みたいなもの 決まってるようで明確には決まってない

でも僕の中での定義というかこれは守ろうというものがいくつかあるのだ

それは

  • 世界一周の途中で一時帰国しない
  • なるべく逆行はしない
  • 南極以外の大陸に全て行く(ユーラシア大陸、アフリカ大陸、北アメリカ大陸、南アメリカ大陸、オーストラリア大陸)

行く地域はもう少し細かく分類すると

  • アジア(東南アジア、南アジア、中央アジア、中東)
  • ヨーロッパ(東ヨーロッパ、西ヨーロッパ、北欧)
  • アフリカ
  • 北米
  • 中米
  • 南米
  • オセアニア

以上を回る事

特に最初の「世界一周の途中で一時帰国しない」これを僕は重要視してる

よく世界一周してる人のブログで資金が尽きたとか、だれだれの結婚式でだとか色んな理由をつけて一時帰国する人達を見てきた

旅の途中で日本に帰って何ヶ月か過ごしてからまた旅に出るのは果たして世界一周なんだろうか?

僕は違うと思う

日本と他国を行ったり来たりしてるのは単に周遊旅行を繰り返してるだけだ

それを繋ぎ合わせて世界一周したと豪語するのはいかがなもんだろう?

世界一周した!と言えないと本人も立場が無いから意地でも言い通すんだろうけど

また一時帰国する際にわざと「世界一周」と言い切るために一周になるような飛行ルートを選んで帰ってくる人も確信犯的でズルいなと思います

これを書くと「世界一周の定義なんて決まってないんだから本人が決める事」という反論が来そうだが、言った者勝ちならそれこそ紛い物の世界一周がそこらじゅうに溢れてしまうのではないか

決まってないから何でもいいではなく、決まってないからこそ世界一周というに相応しい自分の定義がないといけないのではと思ってしまいます

この定義はいわば覚悟みたいなもの

一周しきる覚悟のない人が色んな理由を手に一時帰国するんだと思ってます

もちろん僕だって家族に何かあればその時は世界一周を中断して日本に帰る

そしてまた旅の続きを再開するだろう

でもその時僕は「僕の世界一周は世界周遊になった」「今は世界周遊をしている」と正直に言うだろう

そこが一時帰国してるのに「世界一周しました!」と言いただけの人と違うところだ

そして覚悟があったからこそ家族の事情などで一時帰国した場合でも自分の旅を「周遊」と認めることが出来るんじゃないか?

気持ちや覚悟が切れた人が一時帰国だけはしっかりしてるのに「自分は世界一周をした」という称号を欲しいが為に無理矢理言ってるの多分ブログ読んでる読者もホントはわかってます

そこを突っ込むと可哀想だし、相手が自分の世界一周を否定されないように口八丁手八丁で無理くりな反論をしてくるだけなのが目に見えてるから何も言わないようしてあげてるだけで

最近凄く若い人たちも世界一周に出てて、世界一周ってものがどんどん身近でイージーになってきてるじゃないですか それは別に悪いことじゃないし若いうちからどんどん世界を見て世界に出て行くのは素晴らしいことだと思う

でもそのイージーさに自分が流されて、旅に慣れてきた頃に「ちょっとくらい帰ってもいいか」ってなってしまわないようにしないといけない

敢えてこれをここに書いたのはそうならないよう僕自身への戒めの為です

世界一周って途中でお家に帰れるようなもんですか?

いやいや、もっと覚悟のいるもんでしょ

俺はそう思います

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