2018年10月3日
この日僕とKサンはナゴルノカラバフのシューシという町に行くためにミニバンに乗り込んでいた
このシューシという街はナゴルノカラバフとアゼルバイジャンの領土争いによって崩壊した建物やモスクが非常に多い町だ しかも首都の役割を果たすステパナケルトからミニバンで約20分ほどでたどり着くことができる町
ミニバンはシューシの町の小さなバス停にたどり着いた
バス停から少し歩くとすぐに崩壊した廃墟が目に飛び込んできた
しかもそれは一つや二つではない
この小さな町のいたるところに当時の領土争いの爪痕が残っている
そして崩壊した廃墟には多くの草が生い茂りこの廃墟がこのまま放置されている月日を物語っている
街の中心あたりに上部や側面が壊れたミナレットがあるモスクを見つけた
中は今修復中のようでこのモスクは引き続き祈りの場として使っていくつもりのようだ
このモスクは戦火で中が燃えてしまったようだった
そしてモスクの近くには廃墟と化した団地が残っていた
思ったよりもすごい建物が残っているな・・
団地の裏に回ってみると建物の中に入る階段を見つけた
階段はもうボロボロで体の大きな僕とKサンが2人で乗るといつ階段が崩壊してもおかしくない
建物の中は構造的にも残っている配管のようなものからしてもどこがトイレでどこがキッチンだったかなんとなくわかる構図になっている
おそらく建物のガラスは小さな窓も大きなガラス戸も爆撃された時の衝撃で全て割れてしまったのだろう
ガラスが残っているところがなくすべて建物の中から向こう側の景色が見えてる
団地の中からは先ほどとはまた別のモスクの廃墟が見えた
あそこはまた後から行ってみよう
階層によっては天井が崩れてしまっているフロアもある
この建物自体いつ崩壊しても不思議ではないぐらい耐久的にはヤバイ
Kサンと中を見終わってから2人でまた用心しながら階段を降りて団地の中から見えたあの廃墟のモスクを目指した
モスクまで続く道のりはまた草に覆われていて、まるで冒険ものの映画やアンチャーテッドみたいなゲームに出てきそうな場所だ
モスクの上のミナレットを見上げると片方のミナレットは最上部が崩壊してなくなっている
そしてモスクから振り返るとさっきの廃墟の団地が見えている
この距離にこれだけ崩壊した建物が近くにあるという事はここはかなり紛争の中心だったようだ
奥に進み角を曲がるとモスクの中に入る階段を見つけた
一瞬入るべきかどうか悩んだが入ってみようということになり僕らはモスクの中に飛び込んだ
そこには一軒目のモスク以上に綺麗なモスクが残っていた
自分の持っている感覚に少し戸惑いを感じていた
ここは廃墟だ
廃墟なのに美しいと感じてしまっている自分がおかしいのかなとも思ってしまう
けど美しいと感じずにはいられなかった
戦火で焼かれ爆風で窓は飛ばされ天井が焼け落ちてレンガがむき出しになっている
人々から放置され忘れ去られたそんな建物だ
それでいて芸術品のように美しいと思ってしまうのは人というのは古いものを愛でる気持ちを持っているからかもしれない
そしてこのモスク、中に入るだけではなくミナレットに登る階段も残っていた
Kサンと2人で真っ暗で埃だらけの階段を登りミナレットの頂上部に登ってみた
そこからはシューシの町を見渡すことができた
そしてこの頂上部には手すりというものが全くなくなっている
ここはさっき僕らが下から見上げていたてっぺんが壊れていたミナレットだ
僕らは今そこの最上部の何も手すりがない落ちたら終わりの場所にいる
落ちたら一巻の終わり 足場は非常に狭く手すりがない上に高い場所なのでかなり風も強い 足場の狭さと風の強さから立ち上がることも困難だ
奥には新しい住宅地、そして手前には領土争いで崩壊した廃墟
今まで世界一周の旅で大きな綺麗な城の道路を挟んですぐ向かい側にスラムがあるなど異様なコントラストを見てきた
でもこの綺麗な住宅と放置された廃墟の対比もなかなか異質だ
ミナレットの頂上部から向かい側のミナレットと街並みを撮影するKサン
本当にこの高さは体が怖がっていると言うか、人間として動物としての本能が強がっている感じだった
今まではネパールのクシュマという場所にアジアで一番長い吊り橋に行ったところが一番の玉ヒュンポイントだったけどこの場所でそれが更新されました
間違いなくこのシューシの廃墟のミナレットの頂上がこの世界一周で訪れたナンバーワンの玉ヒュンポイントだ
ミナレットから下に降りたら足が結構ガクガクしていた
さっきの団地といいこのミナレットといい結構急な階段を上り下りしたからかな
そしていかにこのミナレットの中が砂埃だらけだったかとわかる写真がこちら
もう二人とも短パンのお尻真っ白でした サンダルも手も真っ白
おそらく2人とも物凄い埃を吸い込んでしまったと思う
廃墟が思ってた以上に多くあり、それを見ることによってこのナゴルノカラバフとアゼルバイジャンがどれだけ激しい戦いを繰り広げてきたかを垣間見ることが出来た
でも廃墟だけではなく次はこの街に古くから残っている建物も見たくなった
グーグルマップで見たところ大きな教会がこの町にあるようだ
また坂道を上っていかないといけないけども次はそこを目指してみよう
途中の廃墟にも多くの棘を持った植物が生い茂っている
他の場所にはここまで棘を持った植物はないのだが、廃墟になっている建物のところにだけこの棘のある植物が生い茂っている
おそらくだが廃墟の中にむやみに人が入ったり、浮浪者が中で寝泊まりしたりしないように意図的にこの棘のある植物を植えられているようだ
坂道を登りきると左側に目指していた教会が見えてきた
ここは学校のようだが学校の中の敷地内を通り抜けるとかなり近道なのでそのまま学校の中を通り抜けていく
何か注意されるかなと思ったけども全くそんなことはなくいたってフレンドリーなもんだ
ちょうど体育の授業をやっていたみたい
子供達も観光客が珍しいもんだから無邪気に絡んでくる
そしてたどり着いたのがこの教会
アルメニアっていうのは世界で初めてキリスト教を国教にした世界最古の国だ
アルメニアのキリスト教は正確には「アルメニア正教」という
ここはナゴルノカラバフだけどここに住んでる人はアルメニア人なので当然ながらかなりコアなキリスト教信者だ
僕らが中に入った時は中に人は誰もいなく、非常に崇高な雰囲気の静かな聖歌が流れていた
僕は宗教に興味はないのだがこの教会は本当に静かで素晴らしい雰囲気だった
よく大きな建物で中がやたらめったら豪華な教会があるが、そのような教会よりもここの方がよほど綺麗で崇高に見えた
この国の教会の中の絵で気になったのが手の取ってるポーズだ
どの絵も必ず指がこの形になっていた
しっかり勉強していないから分からないけどこれはアルメニア正教のポーズなのかな?
ステンドガラス越しに小さな光が差し込んでいた 本当に美しい教会だったな
教会を見終わった後僕らはステパナケルトに帰る為、バス停に戻った
紛争当事の廃墟が多く残り、それでいて素朴で美しい小さな町シューシ
この町でも十分当時の領土争いの過酷さを垣間見ることは出来たにも関わらず、僕とKサンは次の日もっと危険な紛争地帯に足を踏み入れることになる